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第10回 工務店と職人

1.工務店の資質を決めるもの

 「注文住宅をつくる工務店にとって、何を置いても欠くことのできない要素として一つ挙げよ」と質されたら、迷うことなく職人、特に大工の技能力を挙げる。
 昨今はあまり大工の腕に頼る仕上げが少なくなり、みな枠立開口部、大壁クロス貼りの内装が幅を利かせているためか、工務店経営者の中でも大工職人についてあまり重きを置かない経営者が増えてきたことは否めない事実である。
 大工職人が家づくりの主役の座をデザイナー(設計者)と施工管理者(現場監督)に明け渡してから久しいが、今でも木造住宅の命は大工職人に掛かっていると言える。
 どんなに垢抜けたデザインを描いても、その絵に命を吹き込み具象化するのは大工を主とした職人達である。然るに、ハウスメーカーは論外としても、工務店でも大工を始めとして職人達を単なる下請けとしてか見ていないところがほとんどである。
 職人たち―特に大工は関連業者でも下請け業者でもない。賃金の支払い形態は違っても、その地位においては契約社員であり、経営上のパートナーでもある。
 「うちはものづくり型の工務店です」と誰もが口にするが、“もの売り型”か“ものづくり型”かを判別するには、大工に対する考え方を質せばすぐ分かる。
 大工をイコールパートナーとしてではなく、まるで資材購入の方法と同じ考え方で、下請け業者として値切る。客から値切られた分をそのまま材料と手間賃に皺寄せさせ、全てをパソコンのせいにして、いわゆる“あてがい扶持”の注文書をITシステムでスマートに職人達に押し付ける。天晴れと言うか、見事なものである。これが先進の工務店経営だそうだが、このような工務店は「ものづくり型の工務店」とは呼べない。
 一流のホテルには料理長として一流のコックを置いている。帝国ホテルの村上料理長などが有名であるが、ホテルの命は宴会であり、その料理である。村上料理長などは定年後もホテルの中に事務所として一室を与えられ、重役待遇を受けているそうだ。なぜか。それは、ホテルにとって料理が全てであるからだと思う。
 工務店の命も、つくる家の大工技能力で決まるとするならば、ホテルにおける料理職人同様、工務店としてもっと重きを置くべきではないだろうか。また、重きを置ける職人を育てるべきではないだろうか。
 大工を始めとして職人を大切にする工務店、これがものづくり型工務店の定義である。

2.大工職人を取り巻く環境

戦後、住宅建設の世界に多くの異業種が参入し、大工棟梁からその主役の座を奪い取っていった。不動産業界、そして木材業界を始めとして資材供給業者などが本来ならば得意先である大工・工務店の仕事を取り上げて、その資本力にものを言わせて住宅メーカーをつくり、ローコスト住宅を売り物に、直接ユーザーに住宅を売った。
 今まで材料を買ってやっていたのが、ある日から競合する商売敵となってしまったのだが、根性のない大工・工務店は不買運動を起こすこともできず、相変わらず従前通り材を仕入れざるを得なかった。他の業界では考えられないことである。
 あるサッシメーカーは、サッシに加えてすべての建材を扱うと共に、大工・工務店をFCグループとして囲い込んだ。結果、今までの大工・工務店が仕事を取れなくなると、今度は下請けとしてグループに従属させ、手間請けのみの労務提供をさせた。
 また昨今では、パワービルダーと呼ばれる建売屋が幅を利かせているが、これとて仕事が取れなくなり、背に腹は変えられなくなった大工・工務店を、安い単価で仕事をさせることで成り立っている商売である。
 しかし、大工職人が単なる下請けになろうとも、大工職人が木造住宅の命であることには変わらない。もっと大工を始め、住宅に携わる職人達を優遇できる業界に変わらなければならないと痛感する。
 しかし、大工職人(工務店を含めて)にも問題がなくはない。いつのまにか匠道(職人根性)を忘れ、損か得かの金儲けが第一の世間の風潮に巻き込まれてしまった…と言っても当たらずとも遠からずであろう。
 工務店は専属の大工クルーを雇用しているが、単発で外注する例もある。この場合、継続して外注依頼することはあまりない。少しでも単価の良い仕事を探して渡り歩くため、腰を落ち着けてじっくり仕事をすることができないのである。
 職人の手間(工賃)は外注、専属を問わず出来高払いが主流で、その人の働きに比例して支払う事が原則であるが、楽をして金だけは人並み以上に取りたいという職人が多く存在することも残念ながら事実である。
 職人の手間賃(給料)は一般のサラリーマンに比べて確かに低い。中堅の職人でも平均年収550万円前後である。そして退職金などの制度はあまりない。その上に道具代、車の経費、各保険料など全て自己負担となるので、その分を稼ぐとなると就労時間の延長しかなく、週50から60時間は働いている。国で定めた週40時間労働を無視せざるを得ないのが現実である。雇用者である工務店も大工に無理をさせること無く、満足して喜んでもらえるような労働環境を構築するように一段の努力が必要であろう。いくら「顧客満足第一」と叫んでも、職人が不満を持ちながら仕方なく仕事をしているようでは、真の顧客満足は得られない。
 昨今、「大工育成」などと叫ばれ、塾や訓練校などが話題になっているが、現在の大工を始めとする職人の世界をもっと夢のあるものに変えなければ、折角参入してきた若者たちに失望を与えるだけで、やがては、この世界から逃げ出すことになるであろうと危惧するのは私だけではないと思う。この現状をどう打開して、職人に満足の与えられる職場環境を構築することができるかが、我々工務店主の避けては通れない課題である。

3.大工職人の資質の向上

 大工職人に資質の向上を求める前に、住宅業界として、もっと彼等を優遇することが先決である。価値ある住宅を適正価格でつくり、職人にも適正な手間を払い、工務店経費もきちんと確保できるような住宅の受注ばかりならば全て解決することであるが、そのような受注環境は過去のものであり、現況は皆無に近い。
 ではどうしたら、職人に満足して仕事をしてもらえることができるかだが、それには2つの方法しかない。
 一つは、資材の購入を工夫することである。自社の与信力を高め、木材ならば産地直送や木材市場、あるいは商社ダイレクトの購入を講じることである。もう一つは、固定管理費を下げて粗利益が下がっても経営持続に必要な利潤が確保できるようにする。この2つでコストダウンした分を大工手間に加算する。
 しかし、工務店側の努力だけではこの問題は解決できない。一番大事なこと―大工職人自身の資質の向上が図られなければ、真の解決にはならず、職人の地位の向上もあり得ない。
 昔の職人は(こう記すのは少し抵抗があるが)「いかに綺麗な仕事を、いかに誰よりも早く仕上げるか」を信条として生涯工夫・研鑚に励んだ。
 それと併せて職人としての身だしなみは勿論のこと、挨拶、話し方などのマナーを身に付けていた。中には茶道、生花などを習得する者さえいた。この時代の職人は仕事に対する誇りが第一で、金は第二の問題であったから、と言えばそれまでだが…。
 高度経済成長後はどの業界をとってもそうであるが、自分の仕事に対する誇りなどは微塵もない。あるのは名誉欲と、物欲だけである。そしてマナーの低下は目に余る。マナーを含め、決められたことを守れない。「くわえタバコで仕事をしてはいけない」「決められた所以外では喫煙をしてはいけない」などと口を酸っぱくして言っても、誰も見ていないとなると決め事を破る。
 どこの世界に可燃物(木屑)などのあるところで火の点いたタバコを吹かす者がいるものか。自分の出したタバコの吸殻は自分自身が始末しなければいけない。自分で家に持ち帰り捨てるくらいの常識がないのか。コーヒーの空き缶に吸殻を入れ、建築現場のあちこちに放置されている情景を施主はどう感じ、見ているだろうか。
 昔の職人のようにサラリーマンの倍も収入を得ようとするならば、好きなタバコも止めるくらいの根性がなくてどうするか、と思う。
 最近は、建前など高所作業でのヘルメットの着用も定着してきたが、これとてちょっと眼を離すと元の木阿弥。安全ベルトの着用に至っては、木造住宅の現場では残念ながらお目にかかれない。
 BGMとして静かにラジオの音楽を流しながら仕事をするのはまだ許せるが、ド演歌をボリューム一杯に上げ、近所迷惑を考えない神経はどうなっているのか。狭い道路に通行の妨げになるのを「我関せず」と駐車する神経はどうなっているのか。
 さらに言えば、昔の職人はもっと格好良かった。元大工の私としては、昨今の職人の野暮な仕事着を見る度に情けなさで気が重くなる。言いたくはないが、タオルの鉢巻は止めてもらえないだろうか。
 最も、職人達のタオルの鉢巻を責める前に、フーテンの寅さんこと、渥美清にタオルの鉢巻をさせた、山田洋次監督の和風センスが問題アリというところかもしれないが。
 鉢巻は、手ぬぐいが様になっている。高座で噺家がタオルを持って上がってきたらどうだか想像してみて欲しい。

4.職人の作業着

 豆絞りの手ぬぐい鉢巻に、4枚小鉤の胴ぬき袖半纏とまでは言わないが、せめて作業帽にジャンパーぐらいはユニフォームとして身にまとえないだろうか。時と場所など関係なく、何を着ようが自分の勝手だというのは、最近プロ野球のオーナーになりたい、と派手にぶち上げたどこかのアンちゃん社長ぐらいにしてもらいたい。
 かといって昔の職人姿に返って、時代劇に出てくるような格好で仕事をしろということではない。どんな時代であってもその時代、その時代の「粋」「洒落っ気」というものがあると思う。言うならば時代に受けいれられる「格好良さ」である。
 例えば、現代なら服装ひとつにしても、自動車整備士の着るつなぎの作業服のようなもの、工務店のCIを植えつけるようなユニフォームで作業をするのはどうだろうか。
 良いユニフォ−ムは働く人間の意識を変える。職業としてはっきりと差別化を宣言するような服装で職場に望むべきである。
 ともあれ、大工という職業の素晴らしさを認知してもらう努力を惜しんではならない。そのためのひとつの手段として、まずファッション感覚溢れるユニフォ−ムに統一してみたらどうだろうか。会社のロゴタイプを入れたり、夏冬のデザインを変えたり、帽子をカラフルにするなどして、あたかもプロ野球選手のユニフォームや、カーレーサーのレーシングウェアーのようなものにしたらどうだろうか。
 そして仕事の終ったアフターファイブにはシャワーを浴び、ドレスアップして街に繰り出し、コンサートや観劇、催し物など見て歩くゆとりある職人像を夢見る。
 言い方は悪いが、仕事が終ってから会った人に「あれ?あれがさっきの大工さんなの」と言わしめる大工であって欲しい。
 要は施主が見て、大事な普請を任せられるに足る、清潔な形(格好)で仕事をしているかどうかであり、これも顧客満足の重要な要素である。
 だらしない格好の仕事着。本人だけがいいと思っている悪趣味なファッション。暑いからといってステテコはいて仕事をしようが、動きやすいからといって倅の着ていたジャージを着て仕事をしようが、仕事の能率には関係ない、自分の勝手だと言えばそれまでだが、端から見て見苦しくない、職人ならではの働き着(ユニフォーム)にまで神経を使うのが単なる労務者でない、ものづくり職人の心意気というものである。

(左)女子リフォームチームのユニフォーム (中央)大工ジュニアチームのユニフォーム (右)地鎮祭、上棟式、祝い着 刺し子半纏

5.職人の知識・教養

 私が大工の世界に入った時代の風潮は「職人に学問など要らない」という乱暴な考え方が一般的で、そこには知識・教養などという言葉も入り込めない厳然たるものがあった。
 時代は変わり、社会の価値観も変わり、いまさら大工に学問は要らないなどという寝惚けた暴言を吐く者は誰もいない。
 実は大工から職業的魅力を削いだものの一つに、いわゆる「大工に学問は要らない」とか、知識・教養を身につけるということへの妙な偏見があった。さらには「粋で、いなせ」ということを「乱暴に振る舞う」ということと履き違えた人間が出てきたことも一因である。
 一つの職業が、その時代の憧れの対象となるには格好良さや収入もさることながら、そこには職業人としての品位が備わっていなければならないと思う。
 かつて、私が主宰していた大工養成塾「番匠塾」では「マナー六分に技術四分」をモットーとしていた。当然、マナーと技術は五分五分のものであるが、あえてマナーを六分としたのは、技術に負けず劣らず知識・教養が大事だという事を強調したに過ぎない。
 知識・教養そしてマナーを身につける第一歩は身だしなみから始まる。
 先人の残してくれた教えの一つに「服装整い形整う、形整い態度整う、態度整い言葉整う、態度と言葉整い心整う、態度と言葉と心整い人格整う」というのがあるが、技術でもマナーでも形から入るのが基本である。
 大工という職業のプレステージを高めるために、もっと社会にアピールするパフォーマンスがあってもいいのではないだろうか。
 宅急便のドライバー、ファーストフードの店員、などに見られるように職業内容はなんら変わらないのに、時代を先取りしたファッション感覚のユニフォームによって、全く新しい職業のようなイメージを与えた。まさに形から入ってイメージアップに成功した例である。

6.大工学校「番匠塾」

 現在はありとあらゆる様々な専門学校があり、職業を身につけようと思えばいくらでもできる環境が整っている。調理師学校、動物ペット学校、コンピューター学校、医療技士学校、などその職種は実に多彩である。
 その中で、生活の根底となる「衣食住」のうちの一つ、「住宅をつくる」という基本的な職種である大工の学校は厚生労働省管轄の職業訓練校が各地にあるが、これは職業教育というより雇用促進事業の色彩が強いものである。そして教育の文部科学省が関わる大工技能専門学校はないに等しい。
 何故かを考えると、そこにはいくつかの問題を挙げることができる。
 その一つは、大工の技能が他の産業技能者に比べて工芸的なため、一律に机上の授業だけでは不十分であり、どうしても生産現場の実習トレーニングが必須条件となる。そこで師匠と弟子のマンツーマンによる技能伝授が不可欠となる。これは建設会社でない学校では実習授業を行うことは事実上不可能なことであり、企業と提携してOJTをするにしても、費用の面で不可能である。
 これを実現するには生徒としてではなく、見習大工として工務店なり大工に雇用され給料をもらいながら技能習得をするしかない。
 しかし、受け入れ先の大工・工務店にしても、先生としての大工棟梁がいなくなって、なかなか受け入れる訳にはいかないのが実状である。
 以上の理由から大工技能の専門学校は、経営採算的に合わずできなかった。
 昭和62年、弊社(中野工務店)でも注文住宅工務店として大工職人の不足に悩み、このままでは木造住宅の施工を業とする工務店が成り立たなくなると感じた。それと併せて、前項で述べた大工職人の地位の向上を願って私塾として「番匠塾」を開塾した。修学期間は2年とし、全寮制にしたので全国から生徒が集まってくれた。
 現代の電動工具などの安全な使い方などを中心に木材の知識、軸組みの墨つけなどの基本を2年間かけてトレーニングした。
 当時の企業内訓練校としては、技能五輪の出場で有名な東京の渡辺富工務店などいくつか存在していたが、雇用契約を結ばず、給料も払わない代わりに、授業料も取らないボランティアとしての塾は現在でもここだけだと思う。
 番匠塾で私が目指したものは、大工としての職業のプレステージを高めるための人材の育成であった。極論ではあるが、「技術四分に、人格(マナー)六分」というモットーも高度な技術は、高い人格の持ち主のみ習得できるものであり、技術習得以前に人格(心の持ち方)の形成が必要との信念から、生徒に説いたものである。
 カー用品販売チェーンの経営で有名な、(株)イエローハットの鍵山秀三郎さんの「凡事徹底」の教えをお借りし、服装・態度・挨拶・清掃など、技能実技に劣らぬ実践を身に付けさせた。
 平成11年に首都圏の仲間の工務店5社が集まり、広域認定訓練校[番匠塾]として組織替えするまでの11年間に塾生は延べ数十名を数え、各地で中堅の大工職人として活躍している。
 現在弊社には番匠塾出身者が11名親方として勤めてくれていて、毎年1、2名の大工見習として入社してくる新人の師匠として励んでくれている。これらの新しい職人クルーは注文住宅工務店としての宝である。

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